学校でイジメがあってもなぜ、学校側はイジメの事実を認めないのか
- 2026/01/22
学校でいじめが起きているにもかかわらず、学校側がその事実をなかなか認めない背景には、個々の教員の資質の問題というより、学校という組織が抱える構造的・心理的な要因が深く関係しています。
この問題を理解するには、「隠している」という単純な意図ではなく、「認められない状態」に陥りやすい現実を直視する必要があります。
まず大きいのは、いじめを「認定」することの重さです。
学校がいじめの事実を公式に認めると、事実確認、記録作成、教育委員会への報告、保護者対応、再発防止策の提示など、多大な事務的・心理的負担が一気に発生します。
現場の教員はすでに多忙を極めており、「確証がない段階で認めること」への強い抵抗感が生まれやすくなります。
次に、学校評価や責任追及への恐れがあります。
いじめがあったと認めることは、「指導が行き届いていなかった」「学校の管理体制に問題があった」と受け取られかねません。
保護者からの不信、教育委員会からの指導、場合によってはマスコミ対応に発展する可能性もあり、組織として防衛的な姿勢を取りやすくなります。
また、いじめの定義の曖昧さも影響します。
文部科学省はいじめを「被害を受けた児童生徒が心身の苦痛を感じているもの」と定義していますが、現場では「ただのトラブル」「双方に原因がある」「一過性の出来事」と判断されてしまうことが少なくありません。
特に、発達障害や特性のある子どもの場合、被害の訴えが「誤解」「被害的」と捉えられてしまう危険があります。
さらに、教員自身の心理的防衛も見逃せません。
担任にとって、いじめは「自分の学級運営の失敗」を突きつけられる出来事です。
無意識のうちに否認や過小評価が働き、「そこまで深刻ではない」「様子を見よう」という判断に傾きやすくなります。
これは悪意ではなく、人としての自然な防衛反応とも言えます。
しかし、その結果として最も苦しむのは被害を受けている子どもです。
学校がいじめを認めないことで、子どもは「自分の感じている苦しさは間違っているのか」「誰も守ってくれない」という二重の傷を負うことになります。
本来、いじめ対応で最も重要なのは、事実の有無を即断することではなく、「苦しんでいる子どもがいる」という事実に向き合う姿勢です。
学校がいじめを認めにくい構造を理解した上で、保護者や専門職が冷静に連携し、記録を残し、第三者を介入させる仕組みを使うことが、子どもを守るための現実的な道筋となるのです。
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発達障害ラボ
車 重徳
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